世の中にはいわゆる「いわく付きのもの」というものがありますが、絵画もその例にもれません。
描かれた人物が動いたり表情を変えたりする、見た人を不安にさせる、見た人に不幸が降りかかる…などなど
もともと描かれている題材や雰囲気が怖いものもありますが、中には一見普通の肖像画や風景画なのになぜか「呪われている」と噂される絵画もあります。
ここではその「呪われている」と噂される絵画を数点紹介したいと思います。
1『デルフィーン・ラローリーの肖像画』
「世界一呪われた絵」と言われる『デルフィーン・ラローリーの肖像画』
楕円形の画面にモノトーンの色調で一人の女性が描かれています。
ふっくらとした袖のある服に身を包み、微笑んでいる女性。
背景は黒一色のためか、少し暗い印象を受けますが、特に怖そうな絵ではありません。
この人物はデルフィーン・ラローリーという1775年~1842頃に生きていたアメリカ人女性です。
裕福な家庭に生まれ、3度も結婚した彼女は莫大な資産とたくさんの黒人奴隷を有している貴婦人でした。
毅然とした立ち振舞いと圧倒的な美貌により、社交界では優雅で知的な女性として注目を集めていたその裏では黒人奴隷を拷問・虐殺するという恐ろしい一面を持っていたようです。
彼女のコックが起こした火事騒ぎにより黒人たちが拷問されていたアパートの屋根裏部屋が公開されたことで奴隷虐殺が明るみになり、家族と共にフランスへと逃亡した彼女は静かに余生を過ごしました。
そのようなデルフィーン・ラローリーの肖像画ですが、1997年、デルフィーンのアパートの当時の持ち主が画家にデルフィーン・ラローリーの肖像画を依頼したことで作成されました。
彼女の死後に描かれたものです。
この絵が飾られた後、様々な怪奇現象に見舞われることになります。
絵を見た後に体調に異常をきたす者が続出する、絵が勝手に動き出す、どこからか声が聞こえる、アパートに幽霊が現れる、など…
この幽霊の正体は虐殺された黒人奴隷ではないか、デルフィーン本人ではないかなど様々な噂が立っていますが、真偽の程は未だ不明なままです。
しかし、デルフィーン自身は非業の死を遂げたわけでもなく海外に逃亡後はひっそりと生き延びているので、むしろこの館で虐殺された黒人奴隷の幽霊の方がしっくりくるような気がします。
ちなみにこの肖像画を描いた画家の証言によると、絵の製作中には何も起こらず、他に描いていた数点のデルフィーンの肖像画は特に心霊現象などは起こらなかったとの事。
この絵は現在、誰の目にも触れないよう厳重に保管され、所有者も謎のままだそうです。
2、『恋文の複製(Love Letters' Replica)』
アメリカ・テキサス州オースティンにあるドリスキルホテルの3階部分に飾られている肖像画『恋文の複製(Love Letters' Replica)』。
花束を持ち、手紙を手渡そうとする少女は、上目遣いで少し恥ずかしそうにはにかんでいます。
一見ほほえましい絵画のようですが、この絵が飾られているホテルでは絵画に描かれた少女の霊の目撃証言などが噂されていたり、絵をずっと見ていると少女の表情が変わるなども言われている、まさにいわく付きの絵画です。
また、1887年にはアメリカ上院議員の4歳の娘サマンサ・ヒューストンがホテルに滞在中、絵の飾られていた3階のメイン階段から転落死するという事件が起き、少女の霊の仕業ではないかとの噂が飛び交いました。
この絵は現在も飾られているかは不明ですが、ドリスキルホテルは現在も営業しているようで宿泊できるようです。
ホテル自体も、アメリカで最も幽霊の出るホテルの1つとして有名で、空いている部屋から謎の音が聞こえたり椅子や窓から幻影を見たりといった怪しい噂もあったようなので、興味がある人は行ってみても良いかもしれません。
3、『泣く少年』
3枚目に紹介するのは『泣く少年』です。
その名の通り、悲しそうに顔を歪ませ涙を流している少年が画面いっぱいに描かれています。
ただ泣いている少年の絵が描かれているだけの絵ですが、この絵も「呪われている絵」として有名です。
この絵は1911年頃からイタリア人の画家ブルーノ・アマディオ(ジョバンニ・ブランゴリンとも言われている)によって描かれました。
『泣く少年』はもともと『ジプシーの少年』というタイトルで観光客向けに作成された絵ですが、なぜかイギリスで人々に好まれ、1960~70年代にかけてデパートなどで大量に複製画が販売されました。
それまでは何事もありませんでしたが、1985年になり、イギリスの南ヨークシャー地方で奇妙な火事が発生しました。
火災により建物が全焼したにも関わらず、なぜかこの『泣く少年』の絵だけが無傷で残っていたというのです。
またこの奇妙な火災は1件のみならず、数十件もの報告が上がるほど頻発しました。
そして現場では必ずといっていいほど無傷の『泣く少年』の絵が見つかるのです。
このため、これらの火事は『泣く少年』の絵が引き起こしているのではないか、という噂が立ちはじめました。
そこで英国の新聞社がこのことを記事にしたところ、同様の体験をしたという電話が殺到。2000枚もの『泣く少年』が送りつけられ、最終的には消防隊により焼却処分されるまでに至ったのです。
この話は都市伝説化し、モデルの少年と画家にまつわる噂まで出てきました。
何でも、モデルの少年は火事で両親を亡くし彼自身は発火能力を持ちよく火災に見舞われる不幸な少年であること。この絵を描いたイタリア人画家は絵の作成途中で火災に巻き込まれアトリエ内で死亡。
後にこの少年も自動車事故に合い、炎上した車内で死亡する…彼が死してなお、その念力は絵の中で存在し続けているのだ、というものです。
この話は都市伝説であり、検証を重ねた末にこの絵だけが燃えない現象の裏付けがされています。
・『泣く少年』は元々燃えにくい素材の硬質繊維板が使われていた
・火事の際、壁にかけてあった絵が紐が焼け切れ床に落ちたが、絵の描かれている方が下になったので硬質繊維板に守られて焼けなかった
というものでした。
なんだ…と思われるかもしれませんが、しかしながら、他にも燃えにくい素材でできた絵画はたくさんあり、家が全焼するほどの大きな火事だったのにこの絵だけ焼けなかったのはやはりおかしい、という声もあるのです。
このジンクスによりヨークシャーの消防士は現在でも『泣く少年』の絵は自宅に飾らないとか…
番外編 ズジスワフ・ベクシンスキーの作品
こちらは特定の絵ではありませんが、ズジスワフ・ベクシンスキーという画家について紹介したいと思います。
ベクシンスキーは1929年、ポーランドに生まれた画家です。
「死」「絶望」「終焉」「破損」「敗退」などの暗いテーマの作品を描いており、「終焉の画家」として知られています。
有名なものだと、骸骨が描かれているものや頭部のみが椅子に置かれているものなど、おどろおどろしいものが多数あります。
他の作品も独特な世界観のものばかりのようです。
また、彼は自分の作品に意味付けされることを嫌い、作品に一切タイトルをつけませんでした。
そのため多数の作品を残していますが全て「無題」となっています。
ベクシンスキーの絵はいくつかの作品で「精神に悪影響を及ぼす」「3回見たら死ぬ」「長時間見ていると命を落とす」などと噂されています。
実際に、「3回見ると死ぬ」と言われている、椅子に頭部が置かれている絵などは何度も見ている内に発狂してしまった人が世界中で出てきたそうです。
他の絵も、確かに長時間見ていると精神的に病んでしまいそうなくらい、おどろおどろしさに満ち溢れています。
しかしそれらは絵の雰囲気が見ている者へ影響しているためであり、見た人の人生を狂わせるような「呪いの力」があるのかは分かりかねるところです。
とはいえ、彼の生い立ちを見ると、呪われていると言われてもうなずけるかもしれません。
ベクシンスキーは、彼自身はとても明るく人当たりも良い性格だったようですが、人生の後半は悲惨な運命をたどります。
1998年に妻を亡くし、翌年には息子が鬱病で自殺、ベクシンスキーは1万円ほどの借金の頼みを断ったがために2005年に若者2人から惨殺されました。
このような彼の半生により、より一層ベクシンスキーの作品が「呪われている絵」として裏付けられるのではないでしょうか。
ベクシンスキーの絵は、彼の故郷ポーランドにベクシンスキー美術館があり、そこで直接観ることができるようです。
まとめ
今回挙げた絵画の他にも、呪われた絵はいくつか存在します。
ほとんどは「見たら精神不安定になる」「気分が悪くなる」「絵が動いた」「声が聞こえる」「飾られている建物などに幽霊が…」など危険なことはなさそうです。
しかし中には、見た人の身に災いが降り掛かったという噂のあるものもあります。
その噂が本当だとしても絵による影響なのかも分かりませんし、もしかしたら本当に絵に何らかの力があり、見た人に何らかの影響を及ぼすかもしれません。
もし興味があれば、調べてみても良いでしょう。
数年前に『怖い絵(中野京子 著)』が話題となりましたが、そこで紹介されていた絵画にも、画家や描かれている人のその後の人生を予知するようなものもありました。
もしかしたら絵には不思議な力が秘められているものかもしれませんね。