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魔術や呪術は本当に存在するのか!その正体と真実とは

古今東西に存在する魔術や呪術、しかし、その実態は科学的に解明されることはなく多くの謎を宿しています。

ときには人を救い、ときには人を滅ぼす、陣地を超えた領域に存在する力とは何なのか。

所願成就の摩訶不思議な術の真実とはどのようなものなのか、今回は世界中に存在する様々な魔術や呪術の真実について赤裸々に紹介していきます。

 魔術や呪術の概念について 現在に知られているその正体とは

魔術や呪術と一括りに表すことは簡単ですが、その全てについて知ることは不可能と言っっても過言ではありません。

有史以前から存在し進化、分岐を続けてきた魔術・呪術の全てを把握することは世界に存在する生物の種類を全て知ることと同義であり、過去に失われた術から現在も増加を続ける術は膨大なものになります。

このように無限大に広がる魔術、呪術の実態については大小はありますが全てに違いがあります。しかし、全てが異なるということはなく、必ず体系として同系統の物としの共通点も存在します。

この項目では、「違い」についてではなく「共通点」を主体に魔術、呪術について既知の事実を紹介していきます。

西洋、東洋、その他の南北諸国などあらゆる国や文化圏において魔術や呪術は存在します。

それらの魔術、呪術には文化圏や言語としての違いがあることは当然ですが、ほぼ全ての術において「宇宙」「真理」「宗教」が深く関係しているという共通点があります。

あえて三つに分けて紹介しましたが、これは今から解説する「宇宙のあらゆる真理の宗教」という話に繋がっていきます。

「宇宙」とは現在での宇宙空間ではなく、有形・無形問わず人間を含めたこの世界の全てのモノやそれらによって発生する事象を意味します。仮にこれを「全ての結果」とします。

次に「真理」とは不変にして普遍の全てのモノに共通する法則を表す言葉であり、「全ての結果」に対してこれを「全ての原因」とします。

つまり、宇宙の真理とは魔術、呪術において「全ての因果」という意味を持っているのです。

そして、最後に宗教とは「人間が宇宙の心理を記憶し理解するための媒体」であると言えます。

自然現象を神格化し神話によって人が生きるために大切なことを理解し、後世に残すため。また、世界の真理を紐解いた人間による人生を歩むために重要な教えを理解し、後世に残すため。それ故に宗教は誕生した場所の環境や時代背景の強い影響を受けています。

宇宙の真理を科学的に理解し、記録として残すことが容易となった現代では宗教の影響力は過去に比べ弱まりつつあります。しかし、科学こそが現代における一大宗教なのです。

多くの宗教が他の宗教を認めないように、科学という名の宗教もまた他の宗教で語られる神秘の存在を認めることはありません。

科学の理解の範囲を超えた魔術や呪術を科学は認めませんが、例えば、現代科学によって作られた薬、機械、武器を一つでも持って過去にタイムスリップしたとします。それは必ず当時の人間にとっては人智を超えたものとなり、神話となって信仰されることとなるでしょう。

科学として理解して「普通」に感じるものであっても、過去には理解を超えたものとして「魔術や呪術」と同系統のものとなるのです。

つまり、実際は科学による「技術」と宗教による「魔術や呪術」の間には差はないのです。

だからこそ、言いましょう。「魔術や呪術」は将来的に科学という宗教によって理解され、「別の何か」として信仰されるようになります。

では、新たな疑問として従来の宗教が最も栄えた時代でも「魔術や呪術を使える人はなぜ限られていたのか?科学と同じなら誰でも使えたはずだ」ということです。

次に、魔術や術術師について紹介いたします

魔術や呪術は特定の人しか使えない? その理由と魔術師・呪術師の正体とは

魔術や呪術は全ての人が使えるものではありません、しかし、これには二つの理由があるのです。

科学の技術であっても誰でも使えるものはありません。それこそが魔術師や呪術師を生み、それらの特異性を高めた「権利」と「才能」なのです。

最初に「権利」についてですが、これは「なんとなく」予想がつくかと思います。

例えば、日本では銃器の所持や発砲を許されているのは特定の権利を持つ人間のみですが、銃を手に取り引金を引けば一般人でも発砲することはできます。所有することも誰でもできます。

しかし、そう言った物理的な可能・不可能に関係なく、「権利」よる可能・不可能が魔術や呪術にも存在します。

ここでの権利とは大企業が著作権や特許などによって自身の利益を守るための利益という側面はあまり大きくありません。それ以上に資格に近い意味での権利だと考えていただければ理解が進むと思います。認められたものが、認められた目的の範囲で行動を許可されていることが魔術や呪術の権利であります。

このような権利は術師のために作られた規範意識ではなく、術師を守るために作られたものです。このような権利に対する意識は現在ではある程度、マニュアル化され統一されています。

そのマニュアルの大前提として「危険回避」というものがあり、故に魔術は特定の人間にしか用いることができないのです。

次に「才能」ですが、これも銃器の例で言うなれば、発砲は誰でも可能だが、離れた的に当てられるかどうかは才能次第になります。同様に、方法さえ知っていれば魔術や呪術の行使は可能ですが、成功するかどうかは才能次第ということになのです。

この才能の大部分は遺伝によるものですが、実は全ての人間に魔術や呪術の素質は大小異なりますがゼロということはありません。しかし、才能は才能でしかなく実力や技術ではありません。実力や技術を学ばなければ才能が開花することもありません。

つまり、一般にも魔術や呪術の大きな才能を持った人間も存在しますが、それを学ぶことができないという点で才能がないことと同義なのです。

ここで重要になるのが、前述にあった権利なのです。魔術や呪術を用いることに権利があるように、教えることにも権利が必要となります。術の伝授の権利を持つ人間の子は高い確率で大きな才能を持っているからこそ、積極的に弟子を探す必要がないのです。術の伝授には「術の方法」のみではなく「歴史」「規則」なども含まれており、一人を育てるのに一人の人生が必要と言われています。

これが魔術や呪術がが閉鎖的になってしまう大きな原因の一つであります。

科学のない過去では、その門を叩く人もいましが現在では魔術師・呪術師を志願する人も減り、自らの才能に気づいた人が稀に入門することを除いて血統に限られたものとなっています。

次に、魔術や呪術に必要な才能の一つでもある力とはどのようなものなのかについて紹介いたします。

魔術や呪術に用いられる力とは 魔力・呪力・霊力など

魔術や呪術に用いられる力は「魔力・呪力・霊力・チャクラ・仙力・法力・妖力、丹」など多くの呼称がありますが、全て根本的には同じだと考えていただいても大丈夫です。

運動に用いられる力は「筋力・脚力・腕力・膂力・張力・跳躍力」など多くの呼称がありますが、全て根本的には同じだと考えていただいても大丈夫です。

あえて、同じ構文を繰り返しましたが行っていることの意味は理解していただけたと思います。魔術や呪術に用いられる力は呼び方こそ違えど根本に辿っていけば同じ場所に辿り着くのです。

少し話題からズレますが、「ミトコンドリアイヴ」というもの学説が生物学にはあります。厳密には異なりますが、内容のあらましとしては「ミトコンドリアというものは女性からしか遺伝子ない、故にミトコンドリアを手繰れば人類の共通祖先がいる」という学説です。ここでのイヴはアダムとイヴのイヴであり、人類で最初の女性を意味しています。学説としては一人の女性を指すものではありませんが、魔術や呪術における力も同じように解釈していただければ分かりやすいかと思います。

つまり、魔力も呪力も呼び方が違うだけで元を辿れば根は同じものなのです。

ですので、この項でもそれぞれの違いではなく「根本的な共通点」について解説していきます。ここからは便宜上、魔力という呼び方で統一します。

魔力を考える上で前提として「目には見えない力」ということを確認しておきます。「目に見えない力」という言葉を聞くと多くの人が「胡散臭い」という印象を持つのですが、これは完全なる間違いです。逆に「目に見える力」というものは存在しません。

先ほど挙げた筋力は目に見えるのかと言われれば、見ることはできません。これは全ての力に共通するのですが、力を数値として計測して視覚化することはできます。しかし、力そのものは目に見ることはできないのです。唯一、あるとすれば光という力のみであり、それは人間の視覚は発光体もしくは光の反射を視神経が受容することによって成り立っているという点では光という力を見ていることになります。

「目には見えない力」とはスピリチュアルやオカルトの言葉ではなく、力と人間の間にある共通原理というのが正しい考え方であります。魔力と他の力の違いというのは計測し数値化できるかどうかという違いしかありません。

ここで重要になるのは、魔力の特異性として「感じることができない」ということがあります。筋力や慣性の力、浮力など感じることのできる力は人間にとって認識しやすいですが、感じることのできない力は理解の外にあると言えます。

例えば、重力の存在です。「重力を感じています」と言う人は存在しないといっても過言ではありません。ただ、知識として「地球の中心に向かって引っ張られる力」などとして頭の中に存在しているだけであって、重力を感じているということはできません。他にも地球が自転・公転している力を感じることはできません。

しかし、間違いなくその力は存在しているのです。

このことから、世界を二元化するならば「人間が認識できる物理世界」「人間が認識できない力の世界」という二元論を生み出すことができます。

さらに理解を深めるために例え話をいくつかします。

あなたがいま生きている世界はあなたの認識の中にしか存在しません。今、世界の裏側で「ミゲルさん」が倒けました、これは事実です。しかし、それを知らない、認識できなということは個人の生きる世界では存在しないことと同じなのです。しかし、確実に「ミゲルさんが倒けた」という事実はあります。

ある人が刑務所などの情報が制限された場所から長期間の滞在の後に出てきました、その人にとっては世間で起こっていることは知ることはできません。つまり、何が起きても知らなければ何も起きていない事と同じなのです。しかし、現実として出所した彼にとって久しぶりの世間は見たことのない物で溢れる別世界でした。

あなたは寝ている時に顔に落書きをされてしまいました。しかし、深く眠っていたので顔に書かれた事実は存在しても、その人にとっては認識することができません。ですが、起きてしばらくした後に鏡を見て自分がいたずらをされていたことに気づきました。もしくは、周囲人に指摘されて初めて気づきました。

ここまで、三つの例え話を交えましたが全く関連性のない話でも、魔力の核心に近づくためには重要な話であります。

三つの例え話からわかることは「人間は認識の範囲でしか生きることができない」「人間の認識の外側にも確実に世界や事象は存在する」ということなのです。つまり、認識できない=存在しないという固定概念を取り払うことができなければ魔力を知ることはできません。最後の話で、周囲の人に「落書きされているよ」と指摘されても「そんなはずかない」と固定概念を持ってしまえば鏡を見るまでは一生その人は気づくことができないです。同様に、魔力を知ろうという時に「認識も感じることもできないから存在しないんだ」という考えでは何も知ることはありません。

本題である魔力とは何なのかという解説を行なっていきます。

魔力とは世界の根本原理に存在する因果関係に干渉することのできる力です。この世界の出来事には全て原因があり、原因によって全ての結果があります。

これは一本線であると考えると理解に近づくことができるのですが、「何も食べない⇨空腹を感じる⇨ご飯を食べた⇨お腹が膨れた⇨活動ができる⇨○⇨○⇨○⇨、、、」このように一本の道の中で因果は連鎖し、全てが原因であり同時になるのです。また「何も食べない⇨お腹が空いた⇨食べ物を食べない⇨生命活動ができない⇨○⇨○⇨、、、」のような別の道も選択によってはあります。

このように考えた時に、人生や物事の中で道を分ける分岐点となる出来事が因果関係なのです。その上で、さらに深く根本に辿る時に、出来事までの『⇨』が真の原因であると言えます。つまり、よりミクロに追求していくことで最も根本にある原因を知ることができます。

そこにある因果関係を知ることで、意図的に結果を導くことはできるのです。

より簡単に言えば『⇨』の方向を変えることができる力を魔力と呼びます。『⇨』を変えることで自らが求める『○』という事象を導くことができます。この時に『⇨』にどの程度の干渉を行えるのかということが魔力の強さということです。

かなり、真理に近い話なので難しいと思いますので筋力で例えるならば、「一本の鉄の棒を渡されました。これを曲げるためには一定以上の筋力が必要です。筋力が高いほど自由に曲げることができます」ということを理解するのは簡単です。この話を魔力に置き換えれば「A⇨Bという結果を、A⇨Cという結果に変えたいので⇨を曲げなければいけません。それには一定以上の魔力が必要で、魔力の高さに比例して自由に曲げることができます」このように表せば理解しやすくなったのではないでしょうか。

筋力は人間の触覚で感じることができますが、魔力は感じることが難しい力なので少し遠回りになりましたが、これが魔力と言われる物なのです。

しかし、魔力は一般の人でも第六感で感じることは可能なのです。しかし、他の五感と異なり第六感は生命活動を行う上で表立って必要な感覚ではないので、その大部分が潜在意識(無意識)に依存しているために認識が難しくなります。

しかし、「悪いことが起きる予感」「予知夢」「虫の知らせ」というものから「雰囲気が悪い」「ムードが良い」という俗的なものまで「なんとなくの感覚」の原因をとことん追求した先にあるものが魔力というものになります。

魔力に関する正直な思いを赤裸々に暴露

赤裸々な暴露を行うと魔力というのは魔術師や呪術師も感覚的に捉えていることが多く、第六感が覚醒していない方に解説するのはさらに難しいのです。

さらに、多くの場合はミクロ単位で何をするかよりも、目に見える範囲で「何を行い、結果として何が得られるのか」ということに興味が集まります。ですので、魔力について解説すること自体も魔術師や呪術師にとっても機会が少ないことが言えます。

このような理解し辛さは術師が術を学ぶ上で重要なことであり、それ以外の人にとっては「摩訶不思議な力」程度の認識で十分なのです。例えば、このブログもPCやスマホで読んでおられると思いますが、PCやスマホの内部構造や中で電子が何をしているかなんてことは使用者にとって興味がない事柄だと思います。ユーザーにとって大切なのは「何が」「どの程度」できるのかということです。

しかし、こういった不透明な側面が魔術や呪術に偽物が多い理由であり、多くの人が疑り深くなる理由でもあります。

また、他の記事では偽物の魔術や呪術を見分ける方法についても研究結果に基づき紹介いたしますので、是非、ご一読ください。

魔術・呪術で用いられる 術、陣、札、呪文、儀式とは何なのか

魔術や呪術と魔力、呪力というものは全く異なります。

よく用いられる例えなのですが、魔力や呪力はガソリン、魔術や呪術がエンジンとなる部分なのです。そして、そのエンジンの部品や素材として術、陣、札、呪文、儀式というものがあるのです。

つまり、原動力となる魔力に対して「意味」「方向」「目的」を与えるのが術や陣、札、呪文、儀式なのです。

魔力というものはガソリンと同じで用途や目的がなければ術として成り立たないのです。さらに、術などが持つ役割として「安全」と「効率化」というものがあります。まず、安全として魔術や呪術では基本的に魔力を用いて超自然的な力を呼び出し効果を得るのですが、この時に術の内容や陣の構成、呪文の内容などで決定され召喚・喚起する力はとても強力な力になります。

ここでは「神」や「悪魔」という表現ではなく超自然的存在と表記しているのですが、天変地異に近い力を呼び出し効果を受け取る上で術師も依頼者もなんの防備がなく行なってしまうと危険性が必ず現れてしまいます。そのために、出力調整や結界の展開などを事前に行うための安全措置が必要なのです。

次に「効率化」として、例えば同じ力でも「てこの原理」や「滑車」を使えば、より大きな効果を小さな力で扱い無駄をなくすことできます。これは魔力消費と効果還元の双方で重要なことなのですが、効率の悪い魔術を行なってしまうと無駄な力を使った分だけ必要な力が損なわれ、負荷がかかってしまうのです。このようなことを避けるためにもしっかりとした術式や儀式などを構築する必要があるのです。

一概には言えませんが、効率の悪い術は「古代魔術・呪術」などが挙げられます。古代の魔術や呪術は「古代に適した構築」になっており、現代で行う上では効率が悪いこともあります。しかし、完全に新しい術も未完成な部分が多々あるので、伝統的な魔術を現代に適した形に構築し直したというものが一番効率の良い確率が高いです。

最後に、超自然的な力についてなのですが、魔力がガソリンで魔術・呪術がエンジンであるならば、超自然的な力は「機体」であると思っていただいて大丈夫です。バイク、車、飛行機をエンジンで起動し、目的地へと向かうこと、これが魔術や呪術の最も簡単な解釈です。

霊能力者などとの違いは 能力と技術の絶対的な差

霊能力や魔術・呪術の明確の違いを捉えるには言語から区別するのが一番簡単です。「能力」か「技術」かの違いはおおよその想像以上に大きいものであります。

闘うという面において身体能力と戦闘技術は全く異なります。反射神経や筋力などが高い人間が修行を積んだ上に成り立つのが戦略や戦術を含めた戦闘技術なのです。また、武力と武術が全く異なるように霊能力と魔術や呪術とは混同されることも多いですが全く異なる物であると言えます。

能力だけでの行為は「個人技」であって、多くの場合は効果が低いです。能力のある人が技術を習得して初めて意味があります。ですので、霊能力と魔術・呪術師というものは完全に別の存在であると考えてください。

最後に

今回は「魔術や呪術の真実とは」という大きなテーマの中で多様な例え話などを用いて解説を行なってきましたが、哲学や量子力学的な側面も強い魔術を一種の学術として宗教を交えず解説したので、かなり詳しく解説しましたが、そのぶん理解は難しいかと思います。

「神が」「仏が」「悪魔が」「天使が」「自然の聖なる力が」「神秘的な力が」などという宗教によった言葉で説明してしまえば簡単です。「愛を司る天使の聖なる力を降臨させ恋愛を成就させる」この一文で全て解説できてしまうのですから、言うが易いとはまさにこのことであります。しかし、それは信仰に近づく行為であって、理解からは遠のくことしかありません。

当然、魔術師や呪術師においても信仰や宗教は重要なことであり、術を成り立たせるための基盤になりますが、その根底には今回解説した事柄がしっかりあるのです。

魔術とは個人技ではなく、魔術を行うことで適した力を呼び出し結果を導くという面でも超自然的存在の力は重要です。

この記事で、理解していただきたいことは「無い」といっても良いです。全て重要ですが、普通に生きてく上では必要ない知識なのです。微分も積分も波動方程式も化学式も分子構造も専門分野の人にとって重要なことであって、生きていくために自分に必要な物ではないのです。

将来的に魔術や呪術が科学的に解明されれば、理系、文系、魔形なんてことが実現するかもしれません。そうなったとしても、必要ない人には必要ない知識なのです。

ただ、今回の記事を通して固定された概念を捨てて認識の外側にある真理を理解することの「難しさ」と「重要性」について少しでも知って、魔術や呪術に興味を持っていただければ幸いです。

 

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