占い・スピリチュアル 心霊体験コラム

その占い師を本当に信じて大丈夫ですか?偽物占い師のカラクリと真実

「占い」というものは今では一種のメディアバラエティとなり、朝の星座占いやラッキーアイテムなど人々の生活の一部となりつつまります。

このような占いの一般化や多様化につれて、その位置付けと振り幅も大きくなり、個人によって全く異なる意味を持つのです。

「信じていないこそ楽しめるコンテンツ」としての占いと「心の支えとし信じたいコンテンツ」としての占いの差は人生において重要になります。だからこそ、占いの位置付けの中に存在する振り幅に様々な「疑心暗鬼」が生まれるのです。

信じないこと=疑わなない、信じたいこと=疑ってしまうというジンクスとパラドックスのある占い。

今回は広く中立的な視点から占いついての諸事実や「偽物占い師のカラクリ」など、様々な核心に迫る内容について解説を行います。

「占い」とはそもそも何なのか 四区分の概要と時代変遷による変化

「占い」とはそもそも何なのか?ということを語り尽くすには本の数十冊では足りません。その理由として、占いは古今東西において無数に存在し、それぞれにおいて信条や概念が異なるからなのです。

ですので、本項では「占いの全てを知る」というよりも「占いについて理解する」という趣旨での解説を行います。

現在に存在する占いの種類を大きく4区分 自然、人間、神仏、科学

最初に占いを大きく四つの分類に区分することができ、「自然前兆」「人為予測」「神意予言」「科学観測」の四つに大きく区分することができます。

【自然前兆】

自然前兆という占いは経験則に近い人間の動物的側面が近い占いにです。例えば、「燕が低く飛ぶと雨が降る」というようなものがこれに近い考え方であります。つまり、自然法則において「Aが起こるとBが起こる」という因果関係に基づいた占いなのです。

しかし、誰しもが経験的に知っているということよりも自然前兆の占いはさらに専門的に深い知識を持った人物が行う占いであり、自然での出来事(動植物の変動など)、環境変化、天体観測などに基づいて独自の基準から物事の起こりとなる前兆を読み取ることが特徴として挙げることができます。つまり、自分の外側でも現象を自分の中にある知識と紐づける行為なのです。

自然前兆はある意味で学術的な側面が強いということができ、現代でいう天気予報が分かりやすいと思います。

雲、気流、温度の変化から起こりうる天候を予測することは現代では普通のことですが、古代では数値としてではなく、本能に近い夢や感覚から読み取った前兆による占いを行なっていたのです。

【人為予測】

これは現在において最も「占い」として認識されているものであり、自然前兆が能動性が高いことに比べて人為予測は完全に能動的な占いであると言えます。

つまり、自身の行動が伴うという点で前者とは決定的な違いがあるのです。

人為予測は古くから「目的」を持って行われてきました。自然前兆が「Aという前兆からBという結果が起こる」という占いであることに対して人為予測は「Bという結果に対してAという行動を行い予測する」という順序が逆になるという特徴があります。

少し難しいかもしれませんが、因果のを導くまでの過程が倍になるのです。

「目的⇨手段⇨結果⇨予測」のように特定の目的のために占いの術や儀式を行い、その結果から予測を立てるという点で人間が出発点に居るのが人為予測となります。この人為予測の場合は現実世界での運命を占うために様々な道具や儀式、術を行いその結果から未来を知ろうというものなのですが、この道具や儀式は多様であり動物の骨や水晶などの自然物からタロットなどの人工物、手相や生命、人相などの人間自身など様々な物を用います。

これらの占いの結果は経験則と集積された情報、神秘から得られる知識を総合したものから未来を予測します。

【神意予言】

これは、神仏などに例えられる人間よりも上位に存在する超自然的存在の意思からもたらされる予言なのですが、これも占いの一種であります。

分かりやすいものでは「夢の中で神からのお告げがあった」というものでありますが、他の占いとの大きな違いは目に見える根拠が全くないということです。他の自然前兆や人為予測では「自然から前兆を読み取る」「占術などの結果から未来を予測する」というものではなく、完全に自身の認識の範囲でしかないという部分でしか根拠がないのです。

一見して占いとは全く異なるように思える神意予言は誰でもできることではなく、信託を受ける聖人や巫女など特別に媒体となる人物が必要になります。つまり、未来に起こる現象を知ろうとするという点において「占い」の一種であると言えるのです。人間側に「未来を知りたい」という意思が介入し、信託を受け取ることのできる人を用意するという、受動的な予言を能動的に知ろうとするという特殊な占いであります。

神降ろしの儀式などがあるという意味では人為予測とかぶる点もあります。しかし、原則として神意予言は神仏の意思を受け取ろうとする姿勢を取るが自ら行動はしないという事柄から明確に区別することができます。

【科学観測】

科学によって観測した事実から起こりうる未来を予測する、自然前兆で例示した「天気予報」を代表として広い視野で見れば科学観測も占いの一種であります。

例えば、多くの場合に考えられる占いとは不確定な未来を予測する行為ですが、天気予報も外れることも当然としてあり不確定なものなのです。また、科学観測とは統計学、心理学などの科学的な意見から傾向を予測し結果を導くという「現代版占い」のようなものであります。

心理学で有名な「バウムテスト」という一本の木を描いき、その絵にある「枝、葉、幹、根」がどのように描かれているのかという情報から統計・心理学的に人間性や深層心理を読み取るという有名なテストがあります。これを古典的な占いに当てはめれば、亀の甲羅を焼いた時の亀裂の入り方から未来を予測する行為と同じことなのです。

「尖った枝が広く伸びているから」という根拠から観測される人間性と「大きな亀裂が縦に一本入った」という根拠から予測される未来。不確定な要素(情報)による確立論から物事を見極めるという点で双方とも占いなのです。

科学観測は自然前兆を科学的に測定・集積された定量的なデータとして保有し、人為観測の原理で目的を持って未来を予測するというハイブリットの占いなのですが、ある大きな一点において他と大きく異なることがあります。その点が「基準値がある」ということなのです。つまり、伝統的な占いは神秘的な力の動きを含めて行う占いであったことに対して、科学観測はデータとして一定の証明が行われて明確であるという、基準値を超えなければ観測には用いません。

これについては、不確定要素を排斥することによって確立を上げる事と引き換えに、一縷の希望を捨てていることを意味しています。

これらのように占いの種類を大きく区分しましたが、それぞれを区別することはありません。それぞれに被る部分もあり、科学観測などは自然前兆と人為予測の派系でであるとも言えるのです。

ですので、「この占いはこれだ」ということよりも、どの側面が強いのかという事柄を知るための区分なのです。

では、次に人間社会での占いの変遷について大まかに解説していきます。

占いの時代変遷に伴う変化 変わりながらも残り続けるもの

占いとは原始的には「生きるための手段」の一つでした。つまり、現在のようなお手頃なコンテンツではなく命がけ打たのです。

例えば、人間生活の中で雨が降るのか降らないのかということはとても重要なことでした。日照りが続けば作物は枯れ、雨が続けば作物は腐ります。このようなことを事前に知る手段として占いは誕生しました。さらに、自然を神格化していた当時の人間いとっては占いと宗教は切り離せるものではありませんでしたので、占いには神秘的な面が大きいのです。

つまり、最初に誕生したのが自然前兆であると言えます。

次に、人間社会が形成される上で動物性よりも人間性が成長していきます。その中では欲望、願望、権力、争いが生まれ「生きること以外の目的意識」というものと職業というものが発生したのです。自然前兆で未来を予測できていたという事実から「占い」に対する信用は大きい人間にとて、目的に対して占いを行うというのは当然のこととなります。同時に職業というものが派生し、優れた占い師は上位の人間に召抱えられ、そうでない者は淘汰されていくのです。

そして、優れた占い師は独自の方法で占いを行うようになり一種の技術として確立されるようになり人為予測が生まれるのです。

人間社会が形成され規模が大きくなるにつれ規範意識という側面を持った「異なる宗教」が社会に必要になります。つまり、「生きるための知恵としての信仰」から「正しい人生のための信仰」が生まれていくのです。この時点で一定量の人間は神に対して忠実であろうといういしきが発生し、自らの欲から願うのでなく神の願いに従うという意志が生まれるのです。

このような神の意思に従って生きる「救済」の意識が生まれたことで神意予言が人為予測から分立します。つまり、人為予測と神意予言の違いの大部分は内容ではなく、意識の差なのです。

この後も長期にわたり人間は様々な占いの方法を探究し、占星術、タロット占い、数秘術、ルーン占い、手相、人相、四柱推命、姓名、風水、陰陽術など数えきれないほどの占いを生み出します。無駄なものが淘汰され、消え行く時代にこれ程までに分岐派生し発展してきたという事実は占いが人間にとてとても重要なものであったということを表しています。

東洋や西洋で占いが異なる発展を遂げたのことは当然なのです。環境が違うのですから、天候、災害、植物、動物の情報から占いを行う環境前兆が異なるのということは、その先の分布に大きく関わります。文化・環境圏によって食が違う発展をしたことと同じなのです。

最初は「食べなければ死ぬ」、次に「美味しい物を食べたい」、さらに「食に作法が生まれる」というように占いも発展してきたのです。

最後に生まれたのが科学観測です。科学の発展・台頭により諸神秘の一部が定性的、定量的に明らかになっていきます。科学技術によって自然前兆の大部分は解明され、それに紐づいた人為予測についても科学的データとして集積されたのです。それが自然科学や統計学、心理学として新たな占いとして人間社会を支えるようになりました。

人間社会が科学施術に支えられるようになるにつれ、自然前兆は科学観測に変化し、神意予言は法律へと移行し、人為予測は人間の生活における重要性を失いました。

しかし、原初から続く占いの灯火が消えることなく、人々の心の中に刻まれています。

そこに対して人為予測はアプローチを変え、人間生活の礎ではなく、人間生活をより良くするコンテンツへとなったのです。このコンテンツ化に伴い占いは重みを手放して、テレビや雑誌などの娯楽の一部へとなり、緯線とは異なる形で人間社会にとって親しまれる存在になります。つまり、生活をしたから支える存在から生活する上で隣にある存在に変化したのです。

占いは「重み」を手放しましたが、「軽くなった」というわけではありません。占いの持つ神秘性や重要性が失われただけであって、個人間での認識の差が大きく変化したということです。これは呪術でも同様なことが言え、「所願成就の呪術」と「願いのかなうおまじない」いう振り幅を持つように、占いも「未来の幸福を求める占術」と「ラッキーを手に入れるための占い」までの差が生まれたのです。

このように、時代の流れと共に「伝統的占い」は生命を支え、発展し、変容しました。ですが、科学観測という面では現在も人間の生命の礎として存在し、俗世的な占いとしての人為予測とは隔絶されるように時代の変遷と共に変化し続けてきました。

では、次に「占い師」について信じていいのか?偽物はいるのか?ということを解説していきます。

占いは信じていいのですか? 信じてもいい占い師と偽物占い師について

今まで解説してきたことは全て本項目のための伏線であります。

前述のように占いには四区分がありますが、現在においては「未来の幸福を求める占術」と「ラッキーを手に入れるための占い」の二種類の方が重要なのです。

正直な話をすると、占いは信じることができます。なぜなら、人間は占いを行っていなければ原初の時点で滅びていたからであり、占いがあったからこそ現在があるのです。このような面では70億の命を育んできた占いは信じることができます。

しかし、信じてはいけない占い師と信じてもいい占い師がいるのです。

占いが重んじられる時代が終わってコンテンツ化されたことによって、当然として偽物占い師も増えました。ここからは「占い師の真偽の線引き」と「占い師の選び方」について解説していきたいと思います。

胡散臭い? 占い師の本物と偽物を線引き

まず、念頭におくべき話は「占い師って胡散臭い」という考えを否定することです。

多くの人が思う占いとは「不思議なことをして不確定な事実を言う無責任な人」というものであります。テレビや雑誌の干支や星座占いを「楽しむ」程度なら人は何も思いません。しかし、お金を払って占いを行うとなると一挙に不信感が湧いてしまうのです。

しかし、一度このような先入観や固定概念を取り払わなければ真偽を見極めることはできません。

分かりやすく解説するために、また天気予報を例として挙げます。天気予報は確立的に天気を予報しますが、外れることもあります。一般人んは天気がなぜ予報できているのか分かりません。つまり、「不思議なことをして不確定な事実を言うこと」が天気予報なのです。

この二つに本質的な違いはありませんが、天気予報を「胡散臭い」と思う人はいません。ですが、多くの場合に信じている明確な根拠はありません。

占いと科学に線引きをしてしまうことは暗弱であると言えます。

「ラプラスの悪魔」という物理学の言葉があります。物理学者ピエール=シモン・ラプラス曰く「もし、ある瞬間における全ての物質の力学状態を知り、それを解析できる知性が存在するならば、全ての未来を知ることができる」、つまり全ての存在について知り、解析すれば未来の不確定性は失われ、確定的な未来を過去と同様に知ることができると言う学説なのです。

しかし、これは量子力学の不確定性原理というものによって否定されてしまいました。

ここから言えることは、あらゆる未来は現代科学の推を集めても「未確定」なのです。だからこそ、未確定=胡散臭い・信じられないという考えはその人の最も信じる科学によって否定されているということであります。

占い師の真偽を見る上で、まず、定量的で科学的でないからという理由による否定は全く持って意味を持ちません。

では、これらのことを念頭に置いた上で「本物の占い師」と「偽物の占い師」の見分け方について解説して聞きます。

本物と偽物を見極める上で注目することが「何をもって偽物と断定するか」なのです。占いが当たるか当たらないかは占い師の真偽には全く関係ないということは、念頭においたことからわかります。的中率で測るのは真偽ではなく実力です。

占い師の真偽を断定する基準線は「不確定であること」なのです。

占いの原則を理解している人間は「絶対こうなる」という言葉や「〇〇になります」という言い切りを伝えません。なぜなら、「確定的な未来を伝える」時点で占いの基本すら知っていない偽物か素人であることが明白になるのです。占い師はあくまでも、占いの結果から導かれた未来の可能性を伝えるのみであって、確定した未来など知ることはできません。

しかし、これではあまりに基準線が雑破であり、偽物の隠蓑にもなりかねますが、もう一つ、基準線があります。

二つ目の基準線が「明確な根拠」です。

神意予言を除く占いの全てには「前兆」「予測」「観測」という根拠から結果を導くという共通点があります。つまり、「みえるから」「フィーリング」「イメージが湧く」といった個人内で完結する、全く持って根拠のない占いは偽物です。占いには必ず、資本となる情報と技術が必要なのに対して、「神秘的」の一言で説明を行う人は完全に偽物であります。

占いには神秘性が伴いますが、あくまで「占いという行為によって神秘から知識を得る」のであって「神秘性があるから占える」というものです。

まとめると、「不確定であると認識できている」「根拠となる行為(儀式、術式など)や情報の伴わない占い」これらの片方、もしくは双方に当てはまる占い師は偽物であると断定できます。

偽物でなくても、素人同然の占い師ですのでご注意ください。

先ほども「的中立は占い師の真偽ではなく実力を示す指標である」と言いましたが、的中率が高いもしくは、自分に最適な占い師を選ぶにはどうすれば良いのかということを次に解説していきます。

占い師の選び方 自分に最適な占いについてを知る

占い師が本物であると前提して、依頼者の目的や希望によって適した占い、適さない占いがあります。

的中の高さは数字で確認することができますが、それが占いの全てではありません。例えば弓矢が的に的中したとして、どれほど深く刺さるのか、目的の的を射ているかということが重要になります。

自分に最適な占い師を見極める時に重要なことが「科学観測の側面が強いのか」「人為予測の側面が強いのか」ということが重要なのです。

つまり、一定基準以上の知見から導からた答えを知るか、基準値のない神秘の希望を含めた答えを知るかということです。

科学観測の側面の強い占いは統計学、心理学としての学術的な側面が強いために、より的確な答えを知ることができます。しかし、本音を言えば科学観測を望むならば専門の資格を持つカウンセラーやメンタリストの掛かり付けになるのが一番です。しかし、科学観測の一定基準には上限があり「人智を超えた超越的な力」を含めないために、人が知り得る範囲で最も確実な範囲に限られてしまいます。しかし、的中率は高くなると言えます。

逆に人為予測とは一般に考えられる占いに近く、神秘を超えた存在からの知識も含めて占いを行います。つまり、人間では知ることのできない範囲の知識を含めた占いですので、普通なら考えられない未来の確立を知ることがでっきるのです。しかし、占い師の技術と経験、解析力によって大きな差がありマニュアル化された科学観測に比べて正確性に劣る部分もあります、

つまり、真実に近いものを知りたいなら科学観測、自らの夢と希望を求めるならば人為予測を選べば良いということになります。

では、最後に占い師のカラクリと真実、騙されてしまう理由などについて解説します。

占い師のカラクリと真実 なぜ、偽物に騙されてしまうのか

占い師が商売をする上でのカラクリとは「希望的観測」にあります。

希望的観測とは、希望する結果が得られるという事を信じた上で行われる推測であります。つまり、もともと希望する未来が得られるという前提で行われる占いは悪魔の甘言に近いものなのです。

占いの本来の持つ意味は「結果からの行動を変えること」であります。吉と出ればその方向に進み、凶と出れば避ける方向へ進むための指標を得るために行うのが占いであり、後にどう動くかが大切なのです。しかし、往々にして現在の占いには希望的観測が持ち込まれ、前提として叶うと信じさせているのです。

占い師の行う希望的観測のカラクリと真実とは、「たれれば」を利用した真実の曲解なのです。

したがって、たとえ本人にとって良くない結果が出ても「〜したら」「〜すれば」という良いことしか言いません。つまり、占いの結果に依存した希望ではなく、希望的観測に依存した占いしか行わないのです。職業と仕事という面で決して、その行為を否定はしません。いかに天才の占い師といえど生きていくために占いをしているのですから、ニーズのある現代に適した占いをするのは当然です。

ですが、このような現代に適した占いは「偽物」に利用される原因となってしまっているのも事実であります。今回、紹介した二つの基準を持っても偽物に騙される可能性はゼロではありません。

本当に変えるべきは「当たらなかった」と考えてしまう自分自身なのです。

占いは基本的に無責任です。逆に無責任でなければ占いの範疇を逸脱してしまういます。しかし、本物の占い師から得られる未来の指標はとても大切なものだということは変わりません。自分の夢や希望に対して自分で責任を持てない人間ほど占いに騙されて、最も大事なものを失ってしまいます。本来の占いとは「あなたの夢は叶いません」という未来の予測から夢を叶えるための道を探る手段なのです。

未来の可能性を先に知ることの意味とは、手遅れになる前に結果を知り改善していく始点を作る意味であり、安堵を得るための終点を知る方法ではありません。希望的観測による甘言に惑わされず、自分の希望と夢に責任を持つことが「偽物の占い師に騙されない方法」です。

自分の中に甘言に惑わされる悪魔がいる、これを覚えておくことが重要です。

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