心霊スポット

【北海道厳選心霊スポット】日本最北のゴーストタウン『雄別炭鉱』(北海道釧路市)

今回ご紹介する心霊スポットは、北海道では3本の指に入る心霊スポットは、全国的にも上位に必ずランキングされてくる程の、最恐心霊スポット【雄別炭鉱】です。

この『雄別炭鉱』は、この炭鉱跡地だけではなく、周辺に廃病院や廃学校があるなど、様々な心霊スポットが付近にある、心霊スポット集合地帯となっています。
この炭鉱自体は、1970年まで実際に稼働していた炭鉱なのですが、炭鉱の閉山と共に周辺は一気に衰退し、今や誰も住んでおらず管理されていない為、完全なゴーストタウンとなってしまい、忘れられた街と化してしまいました。

アクセスとしては、現在は公共交通機関は一切通っていないので、車かバイクという方法しかありません。
残念ですが、車やバイクといった移動方法のない人は訪れることが難しい心霊スポットとなっています。

〇遭遇する心霊現象

この心霊スポット、『雄別炭鉱』で多く報告されている、心霊現象としては、

・崖に引きずりこまれる
・車に血のようなものが付着している
・炭鉱事故によって命を落とした人たちのうめき声が聞こえる
・同じく炭鉱事故によって命を落とした人達が大勢霊となって押し寄せる

これらが、「雄別炭鉱」特有の心霊現象となっており、このほかにも「心霊写真」や一般的な「霊の出現」なども多数報告されている心霊スポットとなっています。

〇心霊現象が起こる場所・時刻・注意点

この雄別炭鉱において、心霊現象が起こるとされている場所は、炭鉱跡地周辺で、この雄別炭鉱周辺においては、廃病院や雄別炭鉱煙突など、いくつかの心霊スポットがあるが、今回紹介しているのはその道中、炭鉱周辺の部分についてピックアップした話です。

毎回のことだが、夜間の方がもちろん目撃情報も、霊の遭遇情報も圧倒的に多いのは確かなのだが、この辺り一帯は国有林となっており、木が生い茂っているため、日中でも薄暗く人の気配がしない為、霊の目撃情報などは後を絶ちません。

注意点としては、周辺の建造物は閉鎖と共に放置されており、1970年から2020年現在に至るまで一切管理をされていないので、約50年ほど放置されている。
そのため、周辺の建造物はいつ崩壊してもおかしくなく、物理的に建造物が崩壊するという危険性があります。

また、雄別炭鉱周辺というのは、先ほども言った通り国有林となっているので、基本的には許可がなければ入山することは許されていません。
更にこの辺り一帯というのは、閉山と共に放置されてしまい、現在は人も住んでいない一帯となるので、電波塔などが少なく、携帯・スマホの電波がほとんど入らず圏外となっています。

その為、周辺一帯が圏外地帯となっているので、外との連絡が取れないという部分は非常に危険です。
また、北海道特有かもしれませんが、ヒグマが生息しているので、熊と遭遇して襲われるという、物理的危険も非常に高いので、この点は非常に注意してもらいたいと思います。

〇心霊スポット概要

今回紹介している、雄別炭鉱というのは、1919年から1970年にかけ、北海道の釧路市で実際に稼働していた炭鉱の跡地です。

炭鉱自体が稼働していた当時は、日本国内でもトップクラスの石炭産出地として、周辺は非常に栄えていました。
炭坑の採掘により人員が必要となり、人が炭鉱周辺に移り住んできた事から炭鉱周辺が急激に栄え、周辺で多くの人が生活をし始めたことで、美容院や学校・商業施設・住宅地・鉄道など、辺り一帯が開拓されていき非常に栄えていました。
最盛期では、雄別炭鉱一帯の人口も1万人を超え、非常に賑わっていたとされています。

そんな日本国内でもトップクラスの採掘量を誇り、ここまで栄えた雄別炭鉱が閉山になる原因は、時代の流れにより石炭の需要低下とともに経営が悪化し、そんな最中1969年(昭和44年)に発生した大規模ガス爆発事故によって「死者19名・負傷者24名」を出したことが重なり、急激に経営悪化に拍車が掛かり、炭鉱自体が倒産してしまい、閉山となりました。
もともと、炭鉱の採掘作業のために人が集まってきた場所だったが為に、炭鉱が閉山してしまうと、人々は退去することを余儀なくされ、雄別炭鉱一帯に住んでいた人々は、散り散りに移り住んで行き、炭鉱の倒産と共に閉鎖となってしまったため、設備はそのまま放置されてしまい、一切管理がされていない状態であったため、現在はゴーストタウンと化してしまいました。

炭鉱という性質上、この雄別炭鉱に限った話ではなく、炭鉱と言うのは死亡事故や負傷事故というのは非常に多く、記録に残っている限りでも、1933年(昭和8年)のガス爆発事故によって死者5名・怪我人多数を生んでしまい、その2年後、1935年(昭和10年)ガス爆発事故がまたも発生してしまい、95名の死亡者が出てしまいます。
ここから20年ほどは大きな事故はなく、1955年(昭和30年)まで稼働していた雄別炭鉱ですが、ここでまたも大きな死亡事故が発生してしまいます。
原因はガス爆発による事故で、死傷者77名の内、死亡者が60名と1935年のガス爆発事故に次ぐ、雄別炭鉱で起きた死亡事故としては、2番目に多い死傷者を出した事故となっています。
その後また10年ほど大きな事故はなかったのですが、1967年(昭和42年)には、雄別炭鉱内で落盤事故が発生してしまい、死亡者6名を出します。
翌年の1968年(昭和43年)には、崩落事故により4名の方が亡くなっており、さらにその翌年、1969年(昭和44年)に閉山の理由の一端にもなっていると言われているガス爆発事故により、死亡者19名・負傷者24名を出す事故が発生してしまいました。

このように、記録に残っている、多数の死傷者を生んだ事故を見ただけでも、非常に多くの方が亡くなっており、またこれも記録に残っている限りの話でしか無く、炭鉱という場所は、日々人が倒れたり亡くなったりしている様な、過酷な労働環境だったと言います。
これ以外にも多くの方が、この雄別炭鉱で命を落としてしまったことでしょう。
ここで命を落としてしまった方の無念や苦しみが、この土地一帯に染み付いているのではないかというのが、雄別炭鉱がこの広い北海道の中でも、3本の指に入る最恐心霊スポットと言われる所以なのでしょう。

≪〒085-0000 北海道釧路市阿寒町雄別≫

当サイトの紹介記事は肝試しによる犯罪行為(所有地への不法侵入やごみの廃棄等)を助長するものではありません。肝試しによって心霊スポットを訪れる場合は、各個人の責任で訪れて下さい。当サイトでは一切の責任を負いかねます。

-心霊スポット
-, , , ,